ボランティアをちょこっとやって、“今”の南相馬市と浪江町を見て回り、
農家民宿に泊まって、、、そんな3日間でした。
今回の滞在については、書きたいことが多くなりそうなので、2つの記事に分けて書こうと思います。
1. 浪江町を中心に、現状について
2. ボランティアについて
今回は1の浪江町を中心に、現状について書いていきます。
2日目に、宿泊先である『農家民宿いちばん星』のお父さんの案内で、
南相馬市小高区と浪江町などを見て回りました。
小高区は原発から20km圏内にあたり、昨年4月から立ち入りが自由となった地域です。
そのため、復興がまだまだ遅れている地域でもあります。それでもこの一年で、道や瓦礫など、だいぶ綺麗になったといいます。
左に見える家は、元々ここにあったものではなく、津波で流されてきたもの。
復興が遅れている地域のため、損壊した家屋等がまだ何軒もあります。
瓦礫の集積場を建設中。
小高区の隣町にも瓦礫の集積場はあるにもかかわらず、原発から20km圏内の瓦礫は、外に持ち出せないため、小高区の中に集積場を作っている。でも、集めた後どうするのかはわからない。
車はさらに南下し、浪江町へと入ります。原発から10km圏内の地域です。
浪江町は今年4月にやっと一部立ち入り自由となった地域です。
小高区も同じですが、9~16時の立ち入りが自由となっただけで、夜を明かすことは認められていません。
街の中心を通る国道6号線からそれた道に入るには、通行証が必要になります。
震災から約2年、自由な立ち入りが禁止されていた街。
当然ながら人の気配はありません。
浪江町の中心は津波に襲われることはありませんでしたが、
倒壊した家屋は、改めて地震そのものの大きさを感じさせます。
本当に2年半前の出来事なのかと、目を疑いたくなります。
街のこういった掲示板のようなものを見ると、
そこにはたしかに人の生活があって、街の香りがあったのだと感じてしまいます。
でも、今は残された建物とパトロールに回る車しかありません。
浪江町は震災後、全町避難となり、人口の6割くらいの人が、浪江町から約50km離れた二本松市に移ったといいます。現在浪江町の仮役場も二本松市にあります。
現在、立ち入り禁止が解除されたとはいえ、経済的な問題や放射線の問題、人口の多くがすでに遠くへ避難してしまっていることなどから、
この先、町民たちがこの街に戻ってこれるのか、まったくわからない状況だと思います。
おそらく、もう戻れないと覚悟して、避難している人も多いと思います。
今回浪江町や南相馬市の小高区を回って感じたのは、
“街”というのは“人”であるということ。“人”がいてこその“街”であり、“文化”であるということ。
震災前、浪江町がいったいどんな街で、どんな文化が大切にされていて、守られていて、育まれていたのか、
私はわかりませんが、
でも、“人”がいてこそのものであると、改めて強く感じました。
そして、それは浪江町だけでなく、双葉町や大熊町といった地域も同じですし、
私たちは、何が彼らから何を奪ったのか、それを忘れてはいけないと思います。
vol.1は以上です。
vol.2では、ボランティアについて、震災から2年半が経とうとしてる今、ボランティアには何ができるのか、
そこら辺を書いていこうと思っています。
では!
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